ページ

2011年4月30日土曜日

魅惑のアイススケート

当初、日本で開催される予定であったアイススケートの世界選手権が、一カ月遅れで、ロシアで開催されています。中でも私が注目している浅田真央は、昨年の王者ですが、今年はショートプログラムで7位と出遅れています。私が思うに、彼女は未だに少女から大人の女性とへの脱皮が途上であるといわざるをえません。確かに正確に完璧に演技を仕上げたとしても、らいばるのキムヨナには円熟味で水を開けられています。
私は真央ちゃんが、彼女らしい成長を遂げた、円熟味のある演技を見る日を楽しみにしています。
頑張ろう日本!頑張れ、浅田真央!

2011年4月25日月曜日

竹の子に起きている異変

山菜や、たけのこ、今が旬です。
たまたま友人の誘いがあり、たけのこ料理のランチに同席しました。
たけのこご飯、お味噌汁をはじめ、天ぷら、煮付け、酢の物全部で、5品のたけのこづくしです。本当においしくて、自然の恵みに感謝です。その昔、たけのこ料理は修行僧たちが、精進料理として食したのでしょう。厳しい修行は、彼らが究極の悟りを得るための「得道」の修行であったことでしょう。あたかも、急成長するたけのこのような閃きであるかもしれません。
しかし、今年のたけのこは、あまり取れないと店主の方は、憂いていました。
猛暑、寒い春など、異常気象による悪影響が出ているのでしょうか?
私もあまりよくないことが起きる昨今を思い、心配になりましたが、とにかく、旬をおいしくいただけたことに、感謝あるのみです。

2011年4月24日日曜日

日豪の絆 紡いだ少年の手紙

今月(4月20日)来日したギラード豪首相は、オーストラリア西部パースの少年との約束を果たした。
先月の東北大震災で被災した日本の少年の記事を母から読んで聞かされたアシュウィン・クレスウェル君(9)は、ギラード豪首相に手紙を送った。
「僕は新聞でトシヒト・アイサワという男の子の写真を見ました。母はその記事を読んでくれました」

以下、産経新聞オンラインでどうぞ

日豪の友情の絆紡ぐ少年の手紙 from Aussie

2011年4月22日金曜日

アレルギー

今年は、私の花粉症アレルギー元年になりました。
前々から、他人事ながら、突然に花粉症になるとは聞いていましたが、自分には関係ないものと思っていました。
3月のはじめ頃、乾燥が目尻あたりに目立つようになり、痒みも出て、鏡をみて、皺が増えたことに驚いていました。

眼科に行き、アレルギー性結膜炎だと診断され、点眼薬を処方してもらいました。
毎日、3回点眼薬をするうちに、改善されてきましたが、今度は、鼻水、くしゃみに悩まされはじめました。
数分も経たぬうちに、鼻水が出て、ティッシュを手放せません。
そうなったら、マスクをかけて、鼻を保護するしかありません。
その時に、ハッカ油を少量、滴らしておくと、気分が爽快になります。
しばらくは、季節の病に耐えなければなりません。







2011年4月19日火曜日

誰もいなくなった街の置き去りにされた動物たち

福島原発10Km圏内避難区域では、住民が避難を余儀なくされ、人の気配がなく、ゴーストタウンと化しています。
その中で、避難所へ連れて行くことができず、置き去りにされた、ペットや家畜がさまよっています。
動物愛護団体が、密かに取材しその実態を明らかにすると共に、人間だけの災害ではないことを訴えています。

置き去りにされたペットたち

今から、やく一週間前の記事ですが、福島第一原発から20キロ圏内では、緊急避難した居住地に置き去りにされ、さまようペットたちが数多く発見されました。動物保護団体が調査をし、餌を与え、飼育可能な飼い主を探し、引き渡しています。
はやく、このペットたちにも平穏な日々が訪れますように…。

さまようペットたち


-- iPhoneから送信

2011年4月17日日曜日

ドナルドキーン氏 日本永住決意・・・日本が好きだから

日本文学研究で知られる米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさん(88)が日本に永住する意思を固め、日本に帰化する手続きを始めたことが15日分かった。関係者が明らかにした。関係者は「東日本大震災で大変心を痛め、被災者との連帯を示すために永住への思いが固くなったようだ」と話している。

キーン氏、日本という女性と結婚する

2011年4月13日水曜日

ショータイム

2011年の桜の舞台が上映中....
残酷な年の、より美しい桜の晴れ舞台です。
わずか1週間の短い期間、短い期間であるが故に、美しく散るといいます。桜を惜しむ気持ちを強くさせます。

2011年4月12日火曜日

パーソナル・コミュニケーション

ある精神科医が、大学を退官する最後の授業で、「コミュニケーション」について述べている著書がある。
彼は、医者として、教官として、患者さんに対して「個のコミュニケーション」に徹してきた。
彼は、かつてマスコミ界に身を置いていたことがある。知る人ぞ知る、フォーククルセーダーズというバンドで一世風靡した北山修氏である。「帰ってきたヨッパライ」はレコード大賞特別賞に輝いた。その時彼は、医学生であった。

大学卒業後、彼はマスコミの前から姿を消した。そして、自分の世界に身を投じていった。それは、マスコミにさらされる世界とは真逆の人間の心の領域、内なる世界である。彼は、注意深く心の領域に取り組み、そして、決して表に出ないようにした。
彼は、学生に語った。
「精神科医は患者さんの秘密を犯してはならない、秘密が保たれることを保証しなければならない。」「不特定多数の心を扱うテレビをはじめとするマスコミに対して、私たちは、ひとりのパーソナルな心を扱う専門家である。」

著者の講義は、文面からもわかりますが、非常に優しい言葉づかいであり、丁寧な口調で進められています。たいへん、感銘を受けました。
特に、彼が芸能界にとどまらなかった理由は、次のように記されていました。

このマス・コミュニケーションの時代に、君たちが臨床心理学の領域で治療者になるつもりならば、裏を取り扱う覚悟、マス・コミュニケーションにはのらない、のせられない見にくいものを取り扱う覚悟が求めらる。
これが、私がテレビと決別し、そして再会しているこの授業でのメッセージです。
臨床心理学の世界になぜ入ったのか。それは、マス・コミュニケーションからこぼれ落ちているものを取り扱いたかったから。

2011年4月11日月曜日

安息場所は何処へ行ったの?

豊富な栄養をたたえた青い海は何処へ行ってしまったの?
牛や馬が草を食む緑の大地は何処へ行ったの?
新入生がランドセルを背負った姿は何処へ行ったの?
瓦礫に埋れた悲しく沈黙の春
今までになかった恐ろしく心痛の春
これまで経験したことのない厳しい残酷な春
この絶え間ない災害が罰というのなら、罪は一体何なの?
人間の心の中の邪が悪いのならば、心の中から一掃してしまいましょう
人間の行いが冒涜行為ならば、母なる大地を心から敬愛していきましょう
どうか、怒りを鎮めてください
どうか、揺れと波動を止めてください
どうか、もう一度、平和な大地を与えてください

2011年 未曾有の災害の春に

2011年4月10日日曜日

花咲き誇る季節になりました。
それぞれの美の競演です。


2011年4月9日土曜日

世界的指揮者、ズービンメータ氏再来日チャリティーコンサート

震災や原子力発電所の事故の影響で海外の音楽家の来日中止が相次ぐなか、世界的に活躍する指揮者のズービン・メータさんが急きょ来日して東京のチャリティーコンサートの指揮を務めることになり、8日、リハーサルが行われました。

インタビューの中で、次のように語っていました。
「世界中が日本を見守っています。世界中の人々が日本のことを思って悲しんでいます。
被害にあった人々が少しでも明るく、元気になれることをしたいと思います。
音楽の力を信じてほしい。」


チャリティーコンサート

2011年4月8日金曜日

桜開花宣言

桜開花宣言が聞かれました。しかし、今日は雨降りで、花見や散歩日和ではなく残念でした。
車の中から、道なりの桜の一枚を撮りましたが、あまり良い画像ではありません。来週中には良き日をみて、良い写真撮ろうと思っています。

昨夜の遅い時間に東北地方に、またしても大きな余震が起こりました。初回の大地震の甚大なショックに復興に歯止めをかけるほどの被害を及ぼしました。(実のところ、花見どころではないのです)
本当に、明るいニュースをみつけることが困難で辛いです。
被災者の皆様が、落ち着いて笑顔になるよう、心からお祈り申し上げます。

2011年4月4日月曜日

【東日本大震災】 津波から3週間後に救助された漂流犬、飼い主の元へ

 宮城県気仙沼市の沖合約1.8キロの海上で漂流していたところを、津波から3週間後に救助された犬が4日、名乗り出た飼い主の元に戻った。飼い主は「これから絶対離さずに、大事に飼う」と喜んでいたという。

 犬は雑種の雌。震災の行方不明者を捜索していた第3管区海上保安本部(横浜)の特殊救難隊のヘリコプターが1日に発見、救助艇で助けた。県動物愛護センターで保護されていたが、気仙沼市の避難先でテレビを見た50代男性の家族が「うちの犬じゃないか」と名乗り出た。

 妻が同センターを訪れたところ、犬はしっぽを振って大喜び。センター職員らに見せる態度とは全く異なり、飼い主と判断したという。鈴木寿郎同センター所長は「不慮の事故で離れ離れになったペットと飼い主が再会できて、うれしい」と話した。産経net





1本残った名勝の松林、復興のシンボルに 陸前高田

 岩手県陸前高田市では、海岸線にある国指定の名勝「高田松原」も津波で壊滅したが、たった1本残った松が立ち続けている。

 高田松原は、全長約2キロの砂浜に約7万本の松があった。津波で根こそぎ流されたり途中で折れたりして、市内のがれきの中にも松が目立つ。

 残った1本は、10メートル前後の高さまで枝がもぎ取られているが、しっかり根付いている。

 救援にあたる自衛隊と警察、消防が「復興のシンボルに」と、この松をデザインしたワッペンをつくり、市の災害対策本部に掲示。陸上自衛隊は「津波に負けないとの気持ちを込めた」と話す。〔共同〕




2011年4月3日日曜日

音楽の力

この歌は‘ゆず'の北川氏が作詞作曲を手がけ、今年の1月にリリースされたものです。もちろん、震災前になりますが、この歌のタイトルである 「Hey和」は、人間愛により人の心をより穏やかに幸せにして行こうと唱えたものですから、今の私たちが置かれた状況を癒してくれる曲になったのです。
私は、はじめにラジオをとおしてこの曲を知り、その歌詞にたいへん感銘を受けました。
君のために何ができるのだろう......と考えていきます。



Hey和

神は僕らの心の中にある
一つ一つの命の中に
耳を澄ませば 聴こえてくるだろう
気付かずにいた生命(いのち)の声を

見上げた夜空に 君を想うよ
体中に感じる温もり
どこにいたって 一人じゃないんだ
深い悲しみに 泪溢れても

wow…
祈るように 今日も唄う

Hey和 この地球(ほし)に生まれ
Hey和 僕らは出逢えた
君の為に何が出来るのだろう
Hey和 絶えない微笑み
Hey和 喜びの唄を
消せない 明かり 灯し続けてゆく
君がいるから

神は僕らを試し問うのさ
罪を 過ちを 歴史は繰り返す
癒えることなく 残る傷跡
決して忘れずに 僕ら生きる

人は何故にこんなにも苦しみを抱き
全てを奪う争いは今もまだ止まない
子供たちの笑い声 未来を写す瞳
重ねた手と手を かけがえのない日々
愛しい…

どこまで歩けば辿り着けるだろう
終わり 始まりを探し求めて
そっと目を閉じ 問いかけてみるんだ
雲の切れ間から 差し込む光

Hey和 この地球(ほし)に生まれ
Hey和 僕らは出逢えた
君の為に何が出来るのだろう
Hey和 咲く花のように
Hey和 大地は色付く
捨てない 希望 守り続けてゆく
願いを込めて 今 想いは繋がる
いつも 君がいるから

2011年4月2日土曜日

3週間ぶり犬救出

驚きのそして、うれしいニュースが入ってきました。
災害から3週間ぶりに、瓦礫の上に浮遊していた犬が救出されました。
レスキュー隊が救助してくれましたが、せっかく救助されたのですから、大切にされ、飼い主の元にもどって欲しいものです。

2011年4月1日金曜日

元ALT英語講師が医者として支援

3月11日、日本の東北地方が地震に見舞われてほどなく、ボストン在住のスタウト ハリス氏(マサチューセッツ市民病院勤務)が、震災の救援ボランティアとして、5日間気仙沼に駆けつけ、被災者の医療支援を行いました。
この医師は1989年にJETプログラムのALTとして気仙沼から北部に位置する岩手県の小さな漁師町である岩泉で英語教師を勤めた経験があります。
交通網が遮断された悪路の東京から救急車両にて、気仙沼に到着するとすぐに、地震や津波で怪我をした人々の診察や治療を始めました。
各所の避難場所を巡り、滞在期間中に1000人以上の人々の手当にあたりました。医療不足を補いながらも、ハリスさんは更なる、心のケアーが必要であると感じました。
避難所生活で老いも若きも600人もの人々には、哀しみを超えるだけの愛情深さと極限の忍耐強さを垣間みて彼は、次のように確信しました。
「私は20年前に、彼らの人間的な資質のすばらしさを知っていました。ですから、この驚くべき人間力が人々を復興させることを信じています。」と語りました。