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2010年10月31日日曜日

秋桜(コスモス)

今朝、道端の花壇に、コスモスが一列に咲いているのを見ました。
私は、実に、コスモスが花の中では、ベスト3に入るほど、大好きです。
コスモスの花は、派手でもなく、主張しずぎず、可憐で控えめなところが、気に入っているのです。

コスモスの英訳は、宇宙という意味もあり、そのかわいい花にして、広大なひろがりを持っているのです。また、日本語では、「秋桜」とも別名があります。

今日の、晩秋の小春日和を終盤に近いコスモスの花をながめながら過ごしています。
「秋桜」といえば、あの歌を思い出します。
山口百恵が、引退前にさだまさしが提供したあの名曲です。

2010年10月25日月曜日

小さい秋

日に日に、葉が色づき始めました。
ほんのわずかな短いひと時ですが、紅葉が楽しめる季節の到来です。


春に、桜が満開だった小道を歩き、写真を撮りました。
桜の葉は、紅くなりそして、落ちていきますが、来春の若芽を蓄ていきます。


桜の花は、寒さに会わなければ咲かないといわれています。
試練の時が輝かしい成果を生み出すということなのでしょう。
だとしたら、私たちの人生にも同じように、労苦は成功への通り道であると言えます。


こんなふうに、自然から学べるって、すてきですね。


2010年10月24日日曜日

自然との相克

今年の猛暑は自然の生き物にとって、食糧不足を引き起こすことになり、熊にとっては、厳しいものです。熊は、冬眠を控え空腹を抱えて、食を求めて山里の境界を越えて、人間の住む街にやってきて、人間の生活を脅かす存在として追い出され、駆逐されたりしています。将来的には、彼らの存在が危機的な状況を迎えるであろうことを思うといたたまれない思いです。
私たち人間の暮らしは、自然界の動植物の犠牲の上に成り立っているのであろうかと、思い知らされる思いです。

一方、昨日我が家のエアコンの室外機の裏面に蜂の巣が見つかりました。それは、おそらく夏の終わり頃からエアコンを起動させていなかったわずかな期間で作られたものに違いありません。我が家の平穏、安全な暮らしのためには、この蜂の巣を駆除せざるをえませんでした。しかしながら、この行為は同じ地球上の生物としては、自己本意な行動であるかもしれません。何故ならば、私たちは地球の持ち主ではなく、一時的な賃借人でしかないからです。

私自身、このような蜂を殺さなければならないことに、自己矛盾を感じますし、生きるということの悲哀を感じてしまいます。

環境にやさしく安全に暮らすために化学薬品から解放されよう!

もし、あなたが環境保護や安全に生きていきたいならば、化学製品を使わないようにしていくべきです。
例えば、洗髪には、シャンプーの代わりに重曹を使い、リンスの代わりに、酢を使うことがより良い手段です。そうすれば、高級なシャンプーやリンスもいらなります。そして、頭皮をマッサージすることにより、お手入れが十分に行き届いたことになります。

もう一つ、今度は顔の洗顔には、洗顔用ソープの代わりに、ハチミツを使用することにより、より瑞々しい、弾力性のある肌に戻り、つつあります。

さて、私は早速、重曹シャンプー、ハチミツ洗顔を今日より始めました。
あおの結果報告は、後の機会にまた...

http://www.earthinus.com/2010/10/minimalist-beauty-without-chemicals.html

2010年10月19日火曜日

「日本化」の考察

日本はかつて、20世紀の後半は、「ジャパンアズ ナンバー1」と言われ、「日本化」という言葉が日本の強い経済的な立場を 表していました。
しかし、バブル経済の崩壊のあと、衰退の一途をたどり、ナンバー1の地位を追われ、今や、その言葉の意味も別な意味を持つようである…ニューヨークタイムズ記事によると。


それでも、政府は歳出削減と、財政再建に努めているが、他のエコノミストは「日本化」現象に警告を示している。それは、景気の悪化がさらに引き起こすのは、消費者が消費活動を拒み、企業が縮小し、銀行はお金を供給しないという同じデフレの罠に陥ってしまうということだ。つまり、価格が下がり、雇用が喪失し、その結果、消費者の心理は更に財布のひもを固くし、そして会社は、事業投資を断念し、拡大計画を先延ばしせざるを得ないという、悪循環を繰り返すことになる。

最悪のデフレ( 大不況) …それには、20年間に及ぶ、日本の不景気と価格の低下が日本社会に及ぼす影響を検証するということが、最重要課題である。

ニューヨークタイムズより記事抜粋

2010年10月16日土曜日

脳性まひ伊藤さん新司法試験合格 法曹へ、指1本で扉開く

今年の新司法試験に合格した伊藤昌一さん。脳性まひを抱え、左手の人さし指1本でパソコンのキーボードを打ち試験に臨んだ=1日、札幌市

脳性まひで重度の身体障害がある札幌市の男性が、今年の新司法試験に合格した。左手の人さし指1本でパソコンのキーボードを打ち、論文を執筆。受験回数の上限である3回目での快挙だった。

「どんな事件もこなせるオールラウンドな弁護士になりたい」。意気込むのは同市南区の伊藤昌一さん(37)。

詳しくはこちらへ

http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010101501000554.html

2010年10月11日月曜日

永遠の命

リトルチャロ2 エピソード 28 「永遠の命」より

ナムタカはチャロに言った。
「生きるということは、限りある時間の中で未来を築くため、限りある時間で、夢を追いかけること。
私の言っていることがわかるかい?」

チャロは、ナムタカが言っていることがわからなかったが、理由もなく泣き出した。
ナムタカは、チャロが自分の言っていることが理解できないであろうことがわかっていたが、いづれはわかるであろうと知ったうえで、さらに話し続けた。

「人生は、限りあるがゆえに、美しい。」

「死が訪れない人生はない。」

ナムタカの言葉に、感動しました。そして、スティーブン・キング原作の映画、「グリーンマイル」を思い出しました。
ナムタカもグリーンマイルの主人公も共に、永遠の命を与えられていました。
彼らは、幸せには見受けらず、永遠の命を与えられてため、回りの人々を看取り続けなければならないことに苦痛を感じていたのです。
時が経つに連れて、普通の人であれば、生きてそして死んで行くのを彼らは、決して死ぬことはないのです。

永遠に生きるということは、必ずしも幸せではなく、美しくはないということなのです。
別の言葉で言えば、私たちは、「幸せな人生の終盤」を迎えるために生きているのかもしれません。

では、「幸せな人生の終盤」とはどんなものでしょうか?
答えは、自分自身でつかむものだと思います。
私は、まだ模索しています。あなたの場合はいかがですか?

現代の遣唐使

ある日本人の若者が、中国で一番有名であるといいます。
彼は、中国の大学を卒業し、現地で住み、ライターとして仕事をし、中国語の書籍を数冊出版しています。
彼の話す中国語はたいへん流暢で、現地の人にひけをとらないくらいなのです。

彼の名前は、加藤嘉一といい、「現代の遣唐使」といわれているといいます。
彼は、日本と中国との架け橋として、より良き相互理解のために、コラムを書き貢献しています。また、彼のコラムは人気があり、国中のあちらこちらに出向いています。

彼は、中国が閉鎖的で、表現の自由には至っていないので、ありのままの国の現状を伝えることが困難であることを知っています。未だ、政府は、インターネットからの情報規制を行っていることも事実です。
しかし、彼は自分の使命を見失うことなく、頑張ることでしょう。


2010年10月9日土曜日

ジョンレノンの追悼

10月9日はジョンレノンの70歳の誕生日です。

オノ・ヨーコさんは、故人の記憶を今ここに、私たちと分かち合うためにメッセージを送っています。


平和のことを考え、行動し、拡大し、想像しましょう。

愛を捧げます。

2010年10月8日金曜日

英語になった日本語

私たちは、多くの外来語をカタカナで表し、その恩恵に浴しています。
一方、多少の日本語が、英語になってそのままの発音で使われています。
ほとんどの、英語にになった日本語は、日本独自の固有名詞として輸出されています。
私たち人類は、今や言葉を借り貸しして文化を伝えあい、グローバリゼーション(地球民族化)が進めば進むほど、その傾向は早くなりつつあります。

ここに、いくつか聞き慣れた、英語になった言葉をを紹介します。

相撲、柔道、芸者、侍、将軍、神風、神道など、日本独自の文化から生まれた言葉であり、象徴する言葉として、受け入れられているようです。
最近では、津波や、アニメ、カラオケなど、新たな言葉が次々と産まれています。
アメリカの友人のジムは、ジャパンアニメからくる「ジャパンメイション」という新しい言葉を教えてくれました。アニメは国際的にアニメファンをひきつけているようです。

また、私は別の、予想もしたことがなかった言葉に出くわしました。
それは、「悟り」という、意味深長で、特別な意味合いをもち、抽象的、精神的、宗教的な言葉です。それは、英語では「禅の究極の啓発、境地」と訳されています。
私流に「悟り」を解釈すれば、「自らが獲得する、到達点」と翻訳したいと思います。
私が考えるには、「悟り」とは、偶然にもたらされるものではなく、自らの努力により獲得するものだということです。

この意味荘厳な言葉が世界に知らしめられていることは、たいへん喜ばしいことだと思います。
私たちの伝統文化に誇りを持ち、世界の人々と良さを共有しあえることが必要だと感じます。

2010年10月3日日曜日

週末の読書

ここ最近、中国の背景に興味をもちはじめています。
そこで、日本に20年以上住み日本人に帰化した、ある中国人のことを知り、Webサイトにて彼の書籍を調べていました。
たまたま、図書館にて、他2名の帰化した外国人との対談本を2冊借りて読みました。

本のタイトルは、「売国奴」2007年「日本人 帰化」2008年 です。
鼎談者は、黄 文雄(こうぶんゆう)台湾出身・呉 善 花(おそんふぁ)韓国出身・石 平(せきへい)中国出身です。
彼らは、アジアの歴史、それぞれの国の歴史や習慣、文化、教育の違い、そして自分たちの生い立ち等語り核心に迫っていきました。
隣国アジアから日本びいきで移民した外国人たちは、祖国から「売国奴」と呼ばれかねないですが、実は本当に勇敢で、開かれた心をもつ異文化交流の担い手なのです。
彼らは、率直にアジアの中の各国の事情や悪い点を指摘しつつも、将来的な視野に立って、日本との関係性を憂えています。彼らのスタンスは、日本の文化や風習にはすっかり敬服しています。

彼らの視点によると、日本は「ソフトアニミズム」(ゆるい自然崇拝・万物有霊論)を持ち合わせて、新旧の時代の流れや技術導入にリーダー的役割を果たしてきたという。日本がなかったら、今の中国、台湾、韓国の発展やアジアの各国の繁栄も無かったとも語っています。
しかしながら、2国(中国と韓国)は、そのことを認めようとせず、むしろ戦争責任や長い歴史の中での文明の優勢さばかりを持ち出したがるのであるとも言っています。

ともあれ、3人の帰化人たちは、日本は素晴しいくにであると賞賛しています。
そのことで、読後、日本人であることに誇らしく思いました。