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2011年3月31日木曜日

人生の等位

何十万人の災害から避難してきた人々が、日夜毛布にくるまり床の上に寒さに震えながら避難所生活をしています。他方ではお年寄りたちが、薬もなく、十分な治療を受けられず、持病に苦しんでいます。
ところが、電力会社の社長が、会社の責任問題のストレスのため、入院したということです。
しかし、彼の場合は、暖かいベッドで、十分な医療と手当を受けています。


私は、人生は人により境遇が違うことは当然ですが、人間としての平和はどの人においても平等に与えられるべきだと思います。
社会的な地位による格差はあるといえども、人間は生まれながらにして同じ生命であるのです。それならば、生き残った人々がよりよい暮らしができるように、それを保証し、哀しみや苦しみを共有していくべきではないかと思うのです。






2011年3月30日水曜日

トモダチ作戦

アメリカ政府軍による陸海空の援助部隊は、「トモダチ作戦」と命名され活躍しています。
アメリカの支援ばかりでなく、国内外各国からの支援のおかげで、現地は少しづつ復興に向かって歩んでいます。しかし、完全復興には、何年もかかる見込みです。
中でも、電力不足は深刻で、東京は需要と供給のバランスを鑑みながら、計画停電が実施されています。それの回復にも何年もかかるといわれています。
電力不足に、助っ人が現れました。タイ王国が電力不足に援護するために、発電機を2機無償で提供してくれることになりました。下の写真のものを分解して船便で輸送してくれるそうです。彼らの日本に対する応援の気持ちを大切にしたいですね。本当に、日本が復興するための心からの援助をありがとうございます。

ありがタイ 発電機貸与

2011年3月29日火曜日

放射線、放射能、放射性物質、語の定義と理解

難解な専門用語、放射線・放射性物質・放射能について認識をしてみましょう。

放射線 radiation ; 

α線,β線,γ線などの総称で、α線はヘリウム核 24He (α粒子)であって、β線は電子e-や陽電子e+から成る。またγ線は短波長の電磁波(光子)である。α線(α粒子)のエネルギーは最大でおよそ 9 MeV で、大気中での飛程は約 10 cm である。β線の最高エネルギーは 数 MeV 程度で、アルミニウム金属中の最大飛程は数 mm 程度である。
γ線は物質に対する透過力が極めて強い。
(注) 電磁波の波長が 10-8 cm 以下の電磁波をγ線ということが多いが、短波長のX線との区別は明確ではない。 

放射能 radioactivity ; 

放射性核種に関して、放射線を射出する性質のことをいう。

放射性物質 radioactive materials ;

放射能を持つ物質の総称で、ウラン・プルトニウム・トリウムなどのような核燃料物質など、他に放射化物質をさす。

参考ページ

2011年3月28日月曜日

危機に瀕した原発

原子力発電の危機的状況を憂いても仕方がありません。ただ、ただ事態が収拾するよう見守るしかありません。
しかし、今後のことを思って、これを教訓にしていくしかありません。
犠牲が大きすぎますが。

暮らしが楽でなくても、安全な方がよいです。
不便であっても、放射能汚染に怯えるよりは、よいです。
原発は撤廃してもらいたいです。このような事故が原発を殺人鬼にするからです。
もう、「死の商人」に魂を売り渡すのは止めましょう!


関連リンク

2011年3月26日土曜日

国境なき支援

被災地を救うために、多くの人々の支援の輪が広がっています。
それは、日本人に限らず、在日中の外国人の方々による救援が届けられています。
中でも、パキスタン人の有志により、カレーのご馳走が被災者の皆さんの一部に振舞われました。
そこで、テレビのリポーターが、なぜそんなに素早く救援が活動ができるのか聞くと、わからないが、ただいても立っても居られなかった。そして次に述べたのは

「人間の心には国境ないから、、、、」
と答えました。
この言葉にたいへん感動しまさかの友には脱帽です。

2011年3月25日金曜日

生きるために

リトルチャロ2がエピソード50、今週で、最終回を迎えました。
この物語の原作者、わかぎさんは、月曜日のラジオ番組のゲストとして登場しました。
その中で、メインテーマは、「よく死ぬためによく生きなければならない」
「よい人生は、幸せな最期を約束する」と。そのことから、一日一日を大切にすることを身にしみて感じました。

物語では、すばらしい言葉がたくさんありました。
「未来は君たちのものだから、決して諦めてはいけないよ。」
「君の人生が終わる時、命が次の世代に受け継がれていく」

チャロは私たちの人生の指標です。
夜のあとには朝がくるように、わかりやすく、簡単に示してくれています。
人生の時間がもっとも大切な宝物であり、この瞬間を楽しんで行くこと。
心配や不安や後悔をしないで人生のゴールを目指していくことだと.....。

2011年3月24日木曜日

今日の雲2

午後から空は暗くなってきました。
空全体が低く、グレー色におおわれてしまいました。
海鳥が海面を飛び交い、浮力で停止したりしています。
どうやら、獲物を狙って食餌にありついているようです。


2011年3月23日水曜日

今日の雲

青空に雲が
その雲に乗ってみたいな
平和な気分

青空に鳥が
鳥と一緒に歌ってみたいな
幸せな気分

青空にお日様が
陽射しを抱きしめていきたいな
感謝いっぱい

夜空に星が
星に願いをかけてみたいな
夢心地....

2011年3月22日火曜日

MobileMe がただに?

今や、クラウドコンピューティングの時代になってきました。
私は兼ねてから将来的にはネット上にコンピューターサービスを置くクラウドを災害や破損による被害からまぬがれるためには必要であると関心を持っていました。
やがては多くのクラウドサービスが個人にも提供されていくことでしょう。今は、Appleの MobileMe というサービスに目をつけていますが、値段が年9800円と若干高いので、ためらっていました。
しかし、本日のネットニュースによると、4月から無料になるのではという噂がでているとか。なんと耳寄りの情報でしょうか!
だったら、頭の上に雲を浮かべてみたいです。

2011年3月21日月曜日

寒い春分の日に....

今日は冷たい雨降りで気温は低下しています。
冬物の衣服をしまうことができません。
エネルギーを節約するためにも厚着しています。
それでも一日中暖房は欠かせません。

私の祈り

どうか彼らを寒い所に置いていかないで
どうか彼らに暖かくそして生きるための食料を与えてください。
もし私が全能の力の持ち主ならば、彼らを暖かい島に連れて行くことでしょう。
もし私が宇宙の指導者ならば、太陽をしかり彼らの元に直ちに向かわせることでしょう。

ただ私は彼らの無事と平安を祈ることしかできません。
彼らの元に春が届くようにと.....。
明るく暖かいそよ風が災害を吹き飛ばし、自然の力がやってきて彼らを生かしてくれることを。

2011年3月20日日曜日

文明の死角

新聞の投書欄でこんな記事を見つけました。

「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその熾烈の度を増す」とありました。
人が洞窟に住んでいた時代ならば、壊れる建物もなく、被害は軽微で復旧も容易。便利になればなるほど、便利さに慣れてしまって反動が大きいものだと思います。自然災害もさることながら、科学技術の粋を集めた原子力発電所の事故もとても心配です。

私が心の中で思っていたいたことが文章化されていていました。

ペットと共に避難

地震と津波で家を追われ避難している多くの人々がいます。彼らは、ペットと共に避難所生活をしています。

二人の老女が犬を背負い、倒壊した家の近辺を大きな船をくぐって、捜索しています。
女性が避難所で、愛犬を抱きしめながら、被災したショックを癒しています。
(気仙沼:2011/3/17)

男性が犬を抱いて、放射線検査の列について待っています。福島第一原子力発電し近くの住民の皆さんです。(郡山:2011/3/16)

避難所で、毛布にくるまっている猫(気仙沼:2011/3/17)





2011年3月18日金曜日

かわいいケーキ

今朝は、マイナス3度という超寒い朝でした。日中は、素晴らしい快晴でした。



ケーキ屋さんで、かわいいプリンケーキを見つけました。

「くまプリン」は、食べずに、いつまでも眺めていたいくらいでした。






くまプリン




河合薫 震災にあう

コラムニストの河合薫さんが講演のため訪れていた帰りの水戸駅で地震に遭遇したという、恐怖の60秒を語りました。



大震災 孤立して諦めかけた私を救った“声の力”
何気ない一言で人のつながりは生まれる

 分かっているつもりでいても、自らが体験しないと分からないことがある。

 今、思えば……、東京で暮らす私たちにとって、阪神・淡路大震災の恐怖と混乱と悲しみは、人ごとだったような気がしてならない。リアリティーがあるようでなかった。いや、私たち、ではなく、私、と言い変えよう。私は分かっているようで分かっていなかったのだ。

 3月11日金曜日の午後2時46分。東北地方太平洋沖地震が起きた時、私はJR水戸駅のホームにいた。

 東北地方の震源地近くに比べれば揺れは大きくなかっただろう。沿岸部を襲った津波もなかった。それでも、水戸駅は一瞬にして機能不全とパニックに陥った。

 生まれて初めて、死ぬかも、と思った。

 幾度となく阪神・淡路大震災の映像を見て、地震の怖さが分かっていたつもりだった。だが、土煙が上がり、目の前の建物が大きく横に揺れ動いて、線路に振り落とされそうになり、改めて自然の猛威を思い知った。

 阪神・淡路大震災が起きてから10年目を迎えた時のことだ。当時の神戸市の市長さんが、「私たちを救い、再び立ち上がる力をくれたのは、人、でした」といった内容を語っていたが、今回、初めてその「人」の意味が分かったように思う。

 少しばかり大げさで、飛躍してると思われてしまうかもしれないけれど、「死ぬかも」という思いがよぎった瞬間に感じたことは、まさに市長さんが言った言葉の真意だった。

 そこで今回は、うまく書けるかどうか自信がないのだが、水戸駅で遭遇したこと、そこで出会った人々、これまで私が「人」にとって大切だと考えてきたこと――。そんないくつかの点が結びついた出来事を、できる限りありのまま書きつづろうと思う。

 これは単なる地震ドキュメントではなく、「人」とは何かという、かなり壮大なテーマの枠組みで、読んでいただければ幸いです。

ホームに落ちそうになった私を引き上げてくれたおじいさん

 まずは、当日の状況からお話ししよう。

 11日の金曜日。水戸駅近くのホテルで講演会を終えた私は、改札口まで担当者に送っていただき、午後2時35分ごろに改札口を通った。
 
 2時50分発の電車まで、少しばかり時間があったので、駅構内のお土産屋さんで、水戸の梅ドラ焼きを1つと飲物を買って、ホームに下りた。

 乗車車両は4号車。切符を片手に持ち、乗車口の前に並ぶ。隣には70代くらいと思われるおじいさんが立っていた。

 「間もなく電車が参ります」とのアナウンスが入るやいなや、カタカタとホームが揺れ始めた。

 新幹線のホームなどでは、電車がホームに入ってくる時に軽い振動と風を感じることがあるが、「常磐線の特急も結構、飛ばしてくるんだなぁ」などと、のん気に思っていた。

 ところが、である。

 次第に振動にうなるような音が加わり、ホームの柱が大きく横に揺れ始めた。

 「地震だ!」と叫ぶ声があっちこっちから上がり、私は思わず隣に立っていたおじいさんの腕につかまってしまったのだ。

 その途端に土煙が舞い上がり、天井から大きな破片や砂がホームに激しく落ち始め、隣のビルのガラスが割れ落ち、天井が傾き、ホームから線路に投げ出されそうになった。

 近くにいた年配のご夫婦が、「こっちに来ないと線路に落ちるぞ!」と声を上げ、腕をつかんでしまっていたおじいさんに、「移動しましょう!」と手を引っ張られて、私も動き始める。

 ところが、さらに揺れが激しくなり、動くに動けない。腰をかがめてうずくまらないとホームから線路に投げ出されそうになるのだ。

 そこで、左手で地面を押さえ、右手で壁を必死につかまえて、何とか階段下のホーム中央まで移動した。

 「地震は長くても1分」と教わっていたように思うのに、ちっとも揺れが収まらない。揺れていた看板がはずれて落ち、悲鳴を上げた女性の声が響きわたる。

 「私、ここで死んじゃうのかも……」──。マジでそう思ったのだった。

 やっと揺れが収まった時には、既に駅は停電していた。駅員さんが「怪我をされている方はいませんか?」と走り回り、「何も情報がありません。まだ、何も分かりません。みなさん、落ち着いてください」と声を張り上げていた。

 携帯をチェックするけど、何も情報が入らない。周りにいた人たちも一斉に、携帯をチェックして情報を得ようとするが、何も分からない。

 すると再び、大きく揺れ始める。

 「こっちに来ないと危ない!」と先ほどのおじいさんに肩を抱えられ、階段の脇まで移動する。

 再び、揺れが収まると、駅員さんが「駅の外に避難してください」と誘導を始める。すると、近くにいた40代くらいのサラーマン風の男性2人組と、40代後半くらいの男性1人は一気に階段を駆け上がった。

 一方、年配の女性たちのグループは地震で受けた恐怖から動けない。先の年配のおじいさんと、20代くらいの男性が「上に移動しましょう」とおばあさんたちに声をかけ、私も一緒に改札口に移動したのだった。

 階段を上がる途中で、20代の男性が持つ携帯の画面に地震速報が入り、「仙台で震度7です!」と大声で叫ぶ。一斉にどよめきが起こるが、やっと情報が入ったことで、少しばかり安堵が広がる。

 階段の上では、数分前にドラ焼きを買った店のガラスが割れて倒壊し、駅の改札口付近には、水道管が破裂して水がどんどんと流れ込んでいた。

 改札を出たところでおじいさんと別れ、ここから、途方に暮れる時間が始まったのである。

途方に暮れた私に声をかけてくれたバスの運転手

 まず、駅の外には人があふれ、余震が来るたびに悲鳴とガラスの割れる音、落ちる看板が相次ぎ……。

 見る見るうちに駅が封鎖され、「〇×小学校に避難してください」という指示に応じて、多くの人が移動。誘導していたのは、駅に隣接していた丸井の社員たちだった。

 駅前にいた人たちの多くは地元の住民と思われる。旅行者3割、出張などのサラリーマン1割といったところだろうか。

 地元の人たちは避難所の小学校に向かい、サラリーマンの人たちは会社に戻るのか、三々五々、明らかに目的地に向かって歩き始め、駅前には旅行者のグループが残された。

 恐らく見ず知らずの土地で、見ず知らずの人たちの中で、水戸に知り合いも、行く場所も、何もなかったのは、私だけじゃないか、と思われる状況だった。

 誰も知り合いがいない状態は、かなり恐怖。どんどん冷えてくるし、周りの状況も分からない。そうした中、幾度となく余震が押し寄せてくる。

 とりあえず講演会のあったホテルに戻れば、主催者の人たちと会えるかもしれないと行ってみる。しかし既にホテルは停電でクローズし、全員が小学校に避難し、もぬけの殻だった。

 講演会の担当者の携帯を鳴らすもつながるわけもなく、「あ~、早くどうにかして南下しないと、このまま水戸で過ごすことになっちゃう」と気持ちは焦るばかりだった。

 そこで、駅に戻るしかないと、再び駅に向けて歩き始める。

 すると、「ねえちゃん、どうした? 東京から来たのか?」と、バスの運転手と思われる男性に声をかけられた。

 「はい、どうしよう…」と、何とも情けないのだが、私は半べそ状態で答える。

 「困ったなぁ~。さっき警察から連絡があって、道路は寸断されてるし、あっちこっち通行止めになってるから帰れないぞ」と運転手さんは言う。

 「でも、東京に帰りたい。ここにいても誰も知った人がいないし……」

 「今だったら、まだタクシーが動いているから、早く見つけて行けるところまで行くしかねえなぁ。あっ、あそこにタクシー走ってるけど、乗ってるな。あそこまで行けばつかまるかもしれないから、行ってみな」と駅前の大通りの角まで連れていってくれた。

 タクシーが来なくても、東京方面の車が通ったら乗せてもらおうと思うのだが、通り過ぎるのは水戸ナンバーの車ばかり。
 
 いったい何分待っただろうか。やっと空車のタクシーを発見し、大きく手を振る。

 「東京までは行けないけど…、まっ、いいや。土浦かどっかまで行こう。乗りな」とタクシーの運転手さん。こうして、やっとタクシーに乗れたのだった。

 その後、国道6号を走り続けるのだが、道は陥没し、余震で道路脇の店舗の外壁は崩れ落ち、バス停が一気に陥没し、橋が落ちた。大渋滞で3キロ進むのに5時間を要し、停電で車のライト以外真っ暗闇だった。

 連絡の取れた事務所のスタッフが「土浦も停電で機能がストップしているから、つくばに向かった方がいい」とメールをくれたので、つくばに向かう。

 何時にたどり着くか分からない中、タクシーの運転手さんは私に話かけてくる。

 「あれれ、墓が崩壊してるな」
 「ほれ、店も倒壊しているぞ」
 「東京もパニックだな」
 「おっ、病院か? 電気ついてるな」
 「花粉症か? ティッシュそこにあるぞ」

 そうなのだ。こんな緊急事態に情けない話なのだが、水戸は花粉が多い。杉の木があちらこちらにあって、鼻水が止まらない。目がかゆくてコンタクトが曇るのだが、眼鏡を持っていないのではずすわけにもいかず。止まらぬクシャミで最悪だった。

 そんな私を気遣ってくれたのだろう。タクシーの運転手さんは、たわいもない話題を、無理やり話しかけるわけでもなく、ただただ声に出し続けてくれたのである。

 そして、午前3時。つくば駅横のホテルにやっと到着。ロビーが解放されていたため、運転手さんにお礼を言って別れた。「家に帰れる」――。やっと安心したのを覚えている。

改めて痛感した声を出すことの大切さ

 さて、今回の経験を通して感じたこと。それは、声を出す、ことの大切さである。

 大げさだと思われるかもしれないが、誰も知らない土地で大きな地震に遭い、見ず知らずの土地で交通網が遮断された時に感じたのは、想像以上の孤独感だった。

 駅のホームでとてつもない恐怖に襲われた時、あまりの自然の猛威と恐怖に太刀打ちできず、誰も一緒に歩く人も、寄り添う人もいない時、ほんの一瞬ではあるのだけれど、「もういいや」と思ってしまったのだ。

 駅前で丸井の社員の方たちに誘導されて、どんどんと人がいなくなっていった時。誰とも連絡がつかずに、今、自分がここにいることさえ、知らせらなかった時。そして、しんしんと寒さが身にしみてきた時。

 何と言うかうまく言えないのだけれど、瞬間的に自分の存在を忘れそうになってしまったのである。それは今まで一度も感じたことのない感情だった。

 でも、そこで「大丈夫か?」とか、「こっちへおいで」とか、声をかけてくださった人のおかげで、ハッと我に返った。しっかりしなきゃ、と、気持ちが戻ったのだ。

 水戸駅のホームで「移動しよう!」と声をかけてくださったおじいさん。震源は仙台だ、と声を上げて情報を提供してくれた20代男性。「どうした?」と声をかけてくれたバスの運転手さん。そして大渋滞の中、つくばまでタクシーを走らせ、ラジオをかけながら、崩壊する街を見ながら、声を出し続けてくれた運転手さん。

 そんな声をかけてもらうことで、人の声が耳に入ってくることで、孤独感から解放され、しっかりしなきゃと、何度も背中を押された。

 声をかけてもらうこと。声を出す人がいること。そのことのありがたさといったら、たまらなかったのである。

 人間って、自分の存在に気がついくれる他者がいて、初めて自分でいられるんじゃないのではないだろうか。神戸の市長さんが「救ってくれたのは、人、でした」と語っていたのは、人は人とのかかわりなしには、生きられない。いや、生きられないのではなくて、生きようってことを忘れてしまう存在なんじゃないだろうか、と思ったのである。

 もちろん世の中には、そんな他人の存在がなくても、立っていられる強い人もいるかもしれない。

 でも、私のように、たまたま見知らぬ土地で、不測の事態に遭遇し、言葉にできない孤独感に襲われ、弱気になってしまうヘナチョコもいるわけで。

 自然の猛威と恐怖に太刀打ちできず、誰も一緒に歩く人も、寄り添う人もいない時、助かろうとか、頑張ろうとか、生きようってことさえ、忘れてしまうことがある。そんな時、たった一言でも声をかけてくれる人がいるだけで、我に返ることができるのだ。

 「あっ、頑張んなきゃ」、「しっかりしなきゃ」と。他人の声で血が巡り、自分の存在を思い出すのである。

「御苦労さま」の一言に涙したワーキングプアの男性

 以前、ワーキングプアの男性を取材したドキュメンタリー番組があった。このコラムでも取り上げたことがある(関連記事:働く“理由”─飲む、愚痴る、そして、働け!)。

 「生まれてこなきゃよかった」と語るその男性は、ある日、一日だけ公園の清掃の仕事をすることになる。

 朝から、公園を黙々と無表情に掃除をしていたのだが、通りすがりの人に、「御苦労さま」と声をかけられ、涙を流したのである。

 「あの涙は、何だったのか?」と、問いかけるディレクターに、その男性は「見知らぬ人が、ご苦労さまと声をかけてくれた」と答えた。そして、「今までは涙が出ることもなかった。でも、働いていた時に声をかけられて、人間の心が戻った気がする。きっとちゃんと社会復帰できれば、生まれてきてよかったと思えるようになるかもしれない」と語ったのだ。

 その番組を見た時、人間は社会とつながって初めて“人”になるのかもしれないと感じたし、仕事というのは他者に、「あなたがそこにいることは分かってますよ」と言ってもらえるための最大の手段になると思った。

 きっとそうなのだろう、と今でも思う。だが、改めて思いをはせると、見ず知らずの人に「ご苦労さま」と声をかけられたことで、その男性は「あっ、生きなきゃ」と我に返ったんじゃないかと思えてならない。

 仕事を失い、家を失い、社会から孤立し、孤独感を強めていたその男性は、自分の存在を感じ取れなくなっていたのではないだろうか。ところが、「ご苦労さま」と声をかけられたことで、自分がそこに「いる」ことを感じ取った。声をかけられたことで、「あっ、頑張んなきゃ」、「しっかりしなきゃ」と、自分の存在を思い出したのではないだろうか。

 日本の自殺者は10年連続して3万人を超えている。

 自ら命を絶つ人たちの多くは、人間関係や過重労働、経済的問題、将来への不安、健康問題など、いくつかの要因が複合的に重なり合って、あまりに困難が大きすぎて、自分ではどうすることもできないと途方に暮れる。

 どうすることもできない自分に、「生きている意味がない」と、自分の存在価値を見失い、生きる気力を失ってしまう人もいる。

 自殺を防ぐには、顔の見えるつながりが必要である。私はこれまで自殺対策の専門家の方の話を聞いたり、実際に悩む人たちに触れる中で、「つながること」の大切さは十分に分かっているつもりだった。そして、つながるためには、点と点を結ぶ、大きな取り組みが必要だと考えていた。

 でも、今回不測の事態に遭遇し、ただ、声を出して、声をかけてもらうだけでも、救われる人は多いんじゃないかと思ったのだ。

 特別な言葉でなくとも、大げさな態度でなくとも、何気ない声かけによって、背中を押されることがある。声を出す。その声で、「自分は、今、ここにいる」ことが、確認できる。それだけで救われる人は少なくないはずだ。

 水戸駅のホームで、携帯を片手に声を発することもなく階段を駆け上がって去っていった人たち。大きな揺れで動けなくなっているおばあさんに気づくことなく(気がついているのかもしれないけれど)、無言で避難していった人たち。

 あの人たちも、誰かが、「力を貸して」と声を出せば、喜んで助けてくれる優しい気持ちを持っている人たちだったかもしれない。

 でも、あの瞬間、私には、彼らはとてもとても遠く、冷たい人に見えてしまった。それはきっと、私が見知らぬ土地で、独りぼっちで、孤独感を感じていたからかもしれないし、私が誰かと一緒であれば、彼らの存在も行動もさほど気にもならなかったかもしれない。

 それでもやっぱり、動けなくなっていたおばあさんたちを、置いていかないでほしかった。一言でいいから、「階段の上に避難しましょう」と駆け上る前に声を出してほしかった。だって、自分の存在を忘れてしまっている時って、「助けて」と言うことができないのだよ。いや、できないのではなく、助けてという気持ちも忘れてしまうのだ。

 そんな立ちすくんでいる人、困っている人がいたら、「大丈夫?」と声をかける。どう声をかけていいか分からなければ、タクシーの運転手さんがしてくださったように、「あれれ、墓が崩壊してるな」、「ほれ、店も倒壊しているぞ」、「東京もパニックだな」とただただ声を出して、たわいもない話題を共有する。たったそれだけでいい。

 それだけで、「人」がそこにいる意味が生じ、「人」を助けることができるのではないか。

 声を出す。簡単なことだ。見知らぬ人に声をかけるのは勇気がいる。でも、声を出せば、そこでつながりが生まれることだってあるはずだ。

 声を出すことの大切さを、初めて感じ取った経験でした。

2011年3月16日水曜日

不明瞭なことを明確に

次に何が起こるか不安な時、少しははっきりとして心が楽になるかもしれません。私のブックマークのサイトです。

2011年3月15日火曜日

祈りから行動へ Help Japan

前代未聞の津波が日本を飲み込みました。
そして、次の日本救済の波がやってきています。




2011年3月14日月曜日

頑張れ日本 国連からのメッセージ

心温まる日本への応援メッセージを一つをづつ紹介します。ウェブ上に多くのツイッターで語られているのを拾い出しています。少しでも、落ち込んだ心を元気にして、新たな一歩を踏み出していけるよう、みんなで勇気づけられたらと思います。

国連からのコメント「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する。」 に感動した。良い事をしたら戻ってくるのです。これがいい例なのです

2011年3月13日日曜日

日本の復興を祈って

時間が経過するにつれて、地震・津波の被害が明らかになってきています。現在のところ、三千人超の死者と、行方不明者の数があがっています。岩手県、福島県、宮城県ほか東北各県にわたる広範囲です。家屋や車ありとあらゆるライフラインを失ったとしても、命だけは助かったことは何にも替えられないことです。それ故、被災者の方々が幸せに暮らせるよう応援していかなくてはなりません。

ここに、危機的状況にある日本の復興を応援し、励ましていこうとする動きがあります。それは愛と平和に満ちた励ましです。そのような人類の絆がきっと打撃を受けた日本人のこころに響くと思います。世界の各地から「日本人の復興を祈って」応援メッセージが届いています。
そのうちの一つを紹介します。

2011年3月12日土曜日

人智及ばぬ事態!

恐怖の大地震、そして津波、昨日から今日にかけて、もっとも最悪で、辛く長い日となりました。
被災された皆様には心より哀悼の意を捧げます。
回復までには、長い時間がかかることでしょう。

ニューヨークタイムスには次のような紹介文がありました。


これは、実に恐ろしいことだ。マグニチュード8.9の地震が本州の沿岸付近で起こり、その結果津波を発生させた。日本は、事前の準備が周到に行われている国である。そして、日本は豊かで、過去において震災を経験したことによる高い技術を持っている。それらの要素から、災害に対処できるよう、何年もかけて、何十億を費やして、技術を進歩させ、地震や津波による損害をおさえるように技術展開されてきた。

2011年3月11日金曜日

僕は君と行くよ!

今朝のリトルチャロ2のラジオストリーミングを聞いていて、私がepisode48の表現を間違って聞いて書いてしまったことに気がつきました。
それはチャロの言葉で、「僕は君と行くよ。」という表現をcome をgo で書いてしまったことです。自分の頭で勝手に「行く」をgo とした訳は、英語表現と日本語の考えの違いによるものであることを再認識させられました。
日本語では、自分発の行動をどこへ行こうが、「行く」ですが、そちらに向かいますという言い方においては、come を用いたりします。しかし、根本的に両者における同時進行などは、come ではなく、go を使うような気がします。それ故、ネイティブの思いもよらぬ発想には、衝撃的です。
心で発想・理解できる英語表現を身につけられたら、楽しいでしょうね。

2011年3月10日木曜日

ストレス対処力(SOC)

 生きる力とは、ストレス対処力(SOC:sense of coherence)である。それは、「どんな状況の中でも、半歩でも、4分の1歩でもいいから、前に進もうとする、前向きな力」と、言っているのは、日経ビジネスコラム、新・リーダー術連載の河合薫氏の引用です。そして更に、以下のようにまとめています。
「SOCの高い人ほど、ストレスにうまく対処し、健康を保つことができる。抑うつや不安、頭痛・腹痛などのストレス関連症状だけでなく、欠勤などをも予測する。SOCの高い人ほど、仕事上の疲労感が少なく、バーンアウトを起こしにくく、職務満足感が高いことも確認されている。」
では一体、SOCとはどんなものかというと、
「さまざまな調査結果から、SOCが“不安”の反対側に位置する力であることが見えてきたのである。」と。

このことから、私たちは「不安」というマイナス要因をなくして、SOCの数値を高めていく必要があるようです。

2011年3月9日水曜日

心を動かす言葉

大切な人に対して言葉をかける時には、二通りの真逆の言い方があります。
物事には、二面性があるものです。例えば...
陰と陽、肯定的と否定的、プラスとマイナス、押すと引く、生と死、内と外、頂上と底辺。
私は、「リトルチャロ2 episode48 命」に感銘しました。
カノンが翔太が別のことを考えている、つまりチャロと一緒に現世に帰るのではなく、その前にお母さんに会えるかもしれないという罠にかかった翔太を問いただしたのです。
しかし、チャロは、「翔太がお母さんに会いたいのなら、自分も一緒に死の世界にいくよ。だって、僕の命は翔太のものだから」
と言いました。
カノンの言葉は、死の国へ行かせまいと強く翔太を諫める正当法です。しかし、それは空しく翔太の心に響かなかったのです。
一方、チャロのは、翔太の心を動かし、カノンの言う気持ちがようやく理解されたのです。
このことから、カノンの言葉は、陽、肯定的、プラス、押し、生、外側、頂上である反面、チャロのは、否定的、マイナス、引き、死、内側、底辺です。
結局は、物事をうまく運びたいならば、この二つの方法を熟慮するべきであることが大切だと思うのです。
私自身、どんなに正当なことでも、押し付けがましかったり、偏執的なことは好きではありません。
まさに心理学です。チャロの言葉が、自分の願望よりも愛に満ちたものであったからこそ、翔太の心を動かしたのだと....。

2011年3月8日火曜日

白い世界が幾度も

寒気が何回も振り返し戻ってきます。
春先は、「三寒四温」といって、寒気が暖気より弱まってくるといわれていますが、今年は本当に異常なほど、寒暖が激しく、おさまりません。
もうそろそろ、白い華は見たくはありません。ピンクの花が恋しいです。


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2011年3月7日月曜日

ユーモア 2

ユーモアについてさらに検索を続けていたところ、興味深いページを見つけました。

ユーモアとは、ヒューマンから由来していて、人生においては豊かにしていけるかどうかの持つべき才能であると。

ユーモアの心が存在しない人生はつまらなく、味気ないものである。

さあ、ユーモアのセンスを磨いて、人生を楽しく、前向きに生きていきましょう。



ユーモアについて

2011年3月6日日曜日

英語に不可欠なユーモアのセンス

「ユーモアが分かると英米人に親しみがわく」

このコラムは、かなりレベルが高い内容と言えるかもしれませんが、英語学習には、大変に重要なポイントなのです。
ユーモアのセンスとは、英語においては、人々の会話にあっては緊張緩和や場の雰囲気をとても円滑にする効果があります。
人は元々、どのような言語であれ、楽しく、そして笑顔を共有していきていきたいものです。もし、ユーモアがなかったら、つまらない、退屈な関係性になってしまうでしょう。
日本においても、英語圏のユーモアとはまた別のタイプの物があります。それらを踏まえたうえで、異文化を知ること…つまり、外国語を習得するには、言語ばかりではなく、その背景の文化を学ぶことが大切にであるということでしょう。

一部抜粋記事

英語はユーモアと切り離せない

今日のコラムでは英米人のユーモアの実例を日本語で書いていきます。これを読んでも「それほど面白くない」と思う方が大半でしょう。ここが英語文化のいちばん理解しにくいところです。しかし、英語がうまくなるにつれてユーモアが分かるようになるだけでなく、自分でも発するようになっていきます。

銅メダルのうちはユーモアが分からなくても、なんら問題はありません。また、ネイティブも手加減するので、銅メダルの人にはユーモアを言わないようにしています。「だったら、なぜユーモアについて、銅メダルの学習者向けに書いているんだ? 我々には関係ないじゃないか」と思われるかもしれません。

おっしゃる通りです。しかしユーモアは英語の根底にあるものであり、英語そのものと切り離せないものなのです。気が張っているときには、英米人は手加減をしてくれます。しかし、気が緩んだときにはユーモアが出てきます。だから、ある程度の理解があった方がいい、というのがぼくの考えです。

また、英米人と自分が1対1のときは、こちらのレベルに合わせて話してくれます。でも、向こうが多勢の場合はユーモアを連発します。こんなときは「面白さが分かっている振り」をしなくてはなりませんが、これは居心地が悪いです。それでも、今日お話しするポイントが分かっていれば、ユーモアそのものは面白くないとしても、英米人がユーモアを発した際に戸惑うことはなくなるでしょう。

日本語でも、読めるけれども書けない漢字がたくさんあるでしょう。同じように、自分からユーモアを言えなくても、ある程度理解できるようにしておくことが必要だということです。

ぼくの好きな語学学習番組にNHKの「リトル・チャロ2」があります。子犬が飼い主を捜して旅に出る冒険物語です。毎週木曜日はネイティブ・スピーカーの2人がその週のエピソードについて語ります。この中で、英語文化を理解してもらうためなのか、2人は必ずユーモアを入れています。

語学番組ですから、2人はかなりゆっくり話します。ですが、面白いことに、ユーモアのときはやや早口になり、普通のスピードに近くなるのです。ユーモアは、「自分らしさ」と密接な関係にあります。自分らしさを出すと、どうしてもその人本来のスピードで話すことになるのです。

ユーモアには4つのポイントがあります。みなさんはここで紹介する4つのポイントを押さえれば十分です。


詳しくは、こちらをご覧になってください。

ユーモアがわかると…



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2011年3月5日土曜日

リトルチャロ 「誘惑」より

カノンは翔太に、ランダの仕掛けた罠から守るために、精一杯説得しました。

死の世界では、何もかもが止まっているの。
だから、未来はないのよ。
翔太、あなたは生きている。
日々、変化して、成長している。
だから、未来があるの。

もしあなたが、努力もしないでサッカー選手になったとしても、なんの意味もないのよ。
あなたには未来がある。
そして、未来はあなたのものよ。

追記
以前に出会ったナムタカの名言を思い出しました。

人生とは限りある時間を生きることだ。有限だからこそ、一生を素晴らしく生きていけるものだ。

私はそれら(カノンやナムタカ)の深い言葉に、とても感動します。

2011年3月4日金曜日

外は冷たく、心は暖かい

二日前から雪もようになり、気温は低下してきました。
友人が、寒さのあまり、首・肩・背中が凝ると言って嘆いています。

私も寒さは嫌ですが、心の中が暖かいので、それほど寒くは感じないのです。
それというのは、昨日のアップルの発表会で、スティーブ・ジョブズ氏が、iPad 2 を発表したからです。
彼は現在、一線を離れて病気療養中なのですが、満を持しての登場で、その姿をみるとほんとうにうれしくなりました。
彼の飽くことのない夢を実現するための情熱に、病気も足を止めるのではないかと思うほどです。
彼の驚異の生命力に心が熱くなりました。

2011年3月3日木曜日

iPad 2 ついに登場

2011年は、iPad 2 の年であると、CEO スティーブジョブズ氏は発表した。

2011年3月2日水曜日

アップルの端末機

ここの所、ブログを更新するのはiPadでいつでもどこでもできるようになったので大変に楽になりました。
その上、時間の節約にもなり、新しいアプリの発見もできるようになります。
そこで今日は私以外にも少なからず、アップルの端末機を活用しているトレンドをご紹介します。

アップルの端末機

2011年3月1日火曜日

英国王のスピーチ

人間愛と悲哀、そしてユーモアが込められたとても美しい映画でした。
英国王室の歴史的背景にはあまり詳しくはないのですが、考えさせられたことや、英国王室の良い印象を受けました。
もちろん、それは史実に基づいているといっても、フィクションであり、多大に脚色されていることは間違いありません。しかし、扱っているテーマは、「吃音」という障害であり、王室にとっては極めて重大なことです。治療にあたる役目の療法士は、患者がたとえ、王室の立場であっても、他の患者と分け隔てなく扱い、後に王に就いたといえども、献身的に彼の良心に従い導いた。
ジョージ6世は、彼のサポートなしには存在しえなかったであろう。
この映画「英国王のスピーチ」は、アカデミー賞最多受賞に見合う作品であると思いました。
是非、鑑賞されることをお薦めします。